化学物質の規制というと、多くの人は「危険な物質を禁止するルール」を思い浮かべるかもしれません。
しかし、すべての化学物質問題が、一つの国の中だけで完結するわけではありません。
かつて農薬や工業用化学物質として使われた物質が、何年も環境中に残り続ける。川や海、大気を通じて遠くへ移動する。生物の体内に蓄積し、さらに食物連鎖を通じて濃縮される。そして、ほとんど使用されていない地域でも検出される。
こうした問題を持つ化学物質が、POPs(Persistent Organic Pollutants:残留性有機汚染物質)です。
PCB、DDT、ダイオキシン、PFOS、PFOAなどは、その代表例として知られています。
POPsの問題が難しいのは、単に「有害な物質だから」ではありません。
環境中に長く残り、国境を越えて移動するため、一つの国だけが使用をやめても問題を解決できない。
この性質こそが、世界各国が共通して管理するストックホルム条約が生まれた理由です。今回は、ストックホルム条約を「禁止物質の一覧」として覚えるのではなく、なぜこの条約が必要なのか、物質がどのようにPOPsとして追加されるのか、そして国際条約の決定が日本やEUの規制、製造業の実務へどのようにつながるのかを順番に読み解きます。
そもそもPOPsとは何か
残留性有機汚染物質
POPsは、Persistent Organic Pollutantsの略称で、日本語では「残留性有機汚染物質」と呼ばれます。
この名称だけでは少し分かりにくいので、まず物質の性質から考えてみましょう。
例えば、ある工場で使用された化学物質が、排出後すぐに分解され、周辺地域だけで適切に管理できるのであれば、その問題は主として国内の環境規制や排出管理によって対応できます。
しかし、ある物質が何年も環境中に残り、風や水によって数百キロ、数千キロと移動し、生物の体内にも蓄積していくとしたらどうでしょうか。排出した国だけが規制しても十分ではありません。
この四つは、それぞれ独立した話ではありません。
環境中で分解されにくいから長く残る。長く残るため、生物の体内へ取り込まれる機会が増える。さらに大気や水、移動する生物などを通じて遠くまで運ばれる可能性があります。
その結果、物質を実際に使用していない地域でも、人や生態系が影響を受ける可能性があります。
ここが、通常の化学物質管理とPOPs問題を分ける大きなポイントです。
なぜ「一国だけでは規制できない」のか
ストックホルム条約を理解するうえで、最も重要なのはこの部分です。
化学物質には国境がありません。法律上の国境を越えた瞬間に、物質の性質が変わるわけではありません。
ある国がPCBの使用を完全に止めたとしても、他国から大気や水を通じて運ばれてくれば、環境中に存在する可能性があります。
また、過去に使用された物質が土壌や建築物、設備、廃棄物などに残り続ける場合もあります。
これが、POPsを国際的に管理する必要がある理由です。
この問題意識を背景として、2001年5月22日に「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」が採択され、2004年5月17日に発効しました。
条約の目的は、POPsから人の健康と環境を保護することです。
したがってストックホルム条約は、単に「有害化学物質を禁止する国際ルール」と考えるより、国境を越えて移動する化学物質を、世界全体で管理するための仕組みと考えた方が、本質を理解しやすくなります。
最初の対象は12物質だった
ストックホルム条約は、最初から現在のように多くの物質を対象としていたわけではありません。
条約が採択された当初は、PCB、DDT、ダイオキシンなど12種類のPOPsを対象としていました。これらは一般に「Dirty Dozen」と呼ばれることがあります。
当初の対象には、農薬として使われていた物質、工業用途で使用されていたPCB、燃焼や工業プロセスなどから非意図的に発生するダイオキシン類などが含まれていました。
ここで重要なのは、条約が「2001年時点で問題だった12物質を規制して終わり」という制度ではなかったことです。
その後、新しい科学的知見が得られ、世界的な管理が必要と判断された物質を追加できる仕組みが最初から組み込まれていました。
だから現在では、PFOSやPFOAなどのPFAS、難燃剤、紫外線吸収剤、塩素化パラフィンなど、より幅広い産業用途に関係する物質へ対象が広がっています。POPsは「昔使われた農薬やPCBの問題」だけではなく、現在の製造業にも関係する規制なのです。
条約ではすべてのPOPsを同じ方法で規制しない
「POPsに指定されたら、すべて直ちに全面禁止になる」と考えると、ここでも理解を誤ります。ストックホルム条約では、物質の性質や発生の仕方に応じて、主に三つの附属書に分けて管理します。
附属書A――廃絶を目指す物質
附属書Aは、原則として製造や使用の廃絶を求める物質です。PCBやPFOAなど、多くのPOPsがここに含まれています。
ただし、「附属書Aに入った=世界中ですべての用途がその日から完全禁止」とは限りません。物質によっては、一定期間、特定用途について個別の適用除外が認められる場合があります。
附属書B――使用を制限する物質
附属書Bでは、製造や使用を全面的に廃絶するのではなく、認められた目的などに限定して使用を制限します。PFOSとその塩、PFOSFなどが代表例です。
附属書C――意図せず発生する物質
もう一つ重要なのが附属書Cです。
ダイオキシンのように、製品として意図的に製造するのではなく、燃焼や工業プロセスなどで副生成物として発生する物質があります。
こうした物質は「製造を禁止する」だけでは問題を解決できません。そのため、発生や環境への放出を継続的に削減していくという、別の管理方法が取られます。
新しい物質は、どうやってPOPsになるのか
ここで一つ疑問が生まれます。誰が「この化学物質は次のPOPsにしよう」と決めるのでしょうか。
ストックホルム条約には、新しい対象物質を追加するための評価プロセスがあります。
残留性有機汚染物質検討委員会
中心的な役割を担うのがPOPRCです。締約国から新しい物質の追加提案が出されると、POPRCはまず、その物質が条約で定める基準を満たす可能性があるかを確認します。
評価されるのは、環境中での残留性、生物蓄積性、長距離環境移動性、人や環境への有害影響などです。
ただし、最初の評価だけで直ちに規制が決まるわけではありません。
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POPsとしての性質を確認
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リスクプロファイルの作成
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リスク管理方法の検討
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POPRCによる勧告
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COPで最終決定
COPとはConference of the Parties、つまりストックホルム条約の締約国会議です。
最終的に、物質を附属書A、BまたはCへ追加するかどうかを締約国が決定します。
この仕組みは企業にとっても重要です。規制は、ある日突然完成形で現れるわけではありません。検討段階から動きを追えば、将来規制される可能性のある物質を、正式な禁止や制限より前から把握できる場合があります。
PFASがストックホルム条約に登場した意味
近年のストックホルム条約を理解するうえで、PFASは分かりやすい例です。
PFASは非常に多くの有機フッ素化合物を含む大きな物質群ですが、そのすべてがストックホルム条約の対象となっているわけではありません。
一方で、PFOS、PFOA、PFHxSなど、一部のPFASについてはすでに条約の対象となっています。
さらに2025年に開催された第12回締約国会議、COP12では、クロルピリホス、中鎖塩素化パラフィン(MCCP)、長鎖ペルフルオロカルボン酸(LC-PFCA)とその塩・関連物質を附属書Aへ追加することが決定されました。
この例から分かるのは、ストックホルム条約が過去の環境問題だけを扱っているわけではないということです。
農薬だけではありません。難燃剤、フッ素系化学物質、紫外線吸収剤、塩素化パラフィンなど、現在の製造業の材料や製品に関係する化学物質が次々と対象になっています。
したがって企業は、「POPsという種類の原料を買っているか」と考えるのではなく、自社で使用する原材料や部品の中に、個別のPOPs対象物質が含まれる可能性がないかを見る必要があります。
国際条約で決まると、企業はすぐ規制されるのか
ここも初心者が混乱しやすいポイントです。
例えば2025年のCOP12で、LC-PFCAやMCCPを附属書Aへ追加することが決まったとします。
では、その瞬間から日本企業は日本国内でその物質を一切使用できなくなるのでしょうか。
そう単純ではありません。
ストックホルム条約は国際条約です。日本国内で企業に具体的な義務を課すためには、その内容を日本の法律や政令などへ反映する必要があります。
日本では、ストックホルム条約で廃絶対象となった物質の多くが、化審法の「第一種特定化学物質」として管理されます。
第一種特定化学物質には、製造・輸入の許可制、原則禁止、使用の制限、一定の製品の輸入禁止などの規制があります。
2025年COP12で附属書Aへの追加が決まった物質についても、日本ではその後、国内法への反映が進められました。
2026年5月19日、日本政府は、LC-PFCAとその塩、LC-PFCA関連物質、クロルピリホス、MCCPを化審法の第一種特定化学物質に指定する政令改正を閣議決定しました。
公布日は2026年5月22日、全面施行は2026年11月22日です。
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日本で国内制度を検討
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政令等を改正
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施行
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企業への具体的な規制
世界の規制を見るうえでは、この「国際条約」と「国内法」を分けて考えることが非常に重要です。
「POPsに指定された」だけでは、企業の義務は分からない
さらに注意したいのは、国内法へ反映された後も、物質名だけ見ればよいわけではないことです。
今回の日本の改正では、第一種特定化学物質への指定だけでなく、その物質が使われている場合に輸入できない製品なども定められています。
例えば、LC-PFCAやMCCPについては潤滑油など、クロルピリホスについては木材用の防虫剤などが対象として指定されました。
また、一部の消火器、消火薬剤、泡消火薬剤については、取扱いに関する技術基準の対象となります。
「この物質はPOPsか」という確認だけでは、実際の事業影響までは判断できません。
EUでも同じ条約を、EUの法律として実施している
日本だけではありません。
EUもストックホルム条約の締約主体であり、EU域内ではPOPs Regulationと呼ばれる規則によって、条約上の義務を具体的な法規制として実施しています。
ここで重要なのは、日本とEUが同じストックホルム条約に参加していても、企業が確認する法律は同じではないということです。
世界共通の出発点:ストックホルム条約
日本で確認:化審法など
EUで確認:EU POPs規則
さらに、具体的な対象物質の定義、濃度限度、適用除外、廃棄物に関する要求なども、それぞれの法制度で確認する必要があります。
つまり、ストックホルム条約は世界共通の出発点ですが、企業に求められる具体的な対応は各国・地域の法律によって決まります。この関係は、世界の化学物質規制を理解するときに何度も登場します。
なぜ製造業にとってPOPs対応が難しいのか
POPs対応で実務が難しくなる理由の一つは、対象物質が化学メーカーだけに関係するわけではないことです。
例えば対象物質が、難燃剤、樹脂添加剤、潤滑剤、表面処理剤、農薬、消火剤、加工助剤などとして使用されていた場合、それを含む材料や部品を購入している企業にも影響が及ぶ可能性があります。
完成品メーカーが、その化学物質を自ら購入しているとは限りません。二次サプライヤー、三次サプライヤーの材料の中に含まれている場合もあります。
さらに、過去に製造された製品、補修部品、リサイクル材、廃棄物なども問題になります。
そこでPOPs対応は、単なる「化学物質部門だけの仕事」ではなくなります。調達、品質保証、環境、設計、研究開発、製造、物流、廃棄物管理など、複数部門にまたがる可能性があります。
分析すればすべて解決するわけではない
POPs規制というと、「対象物質を分析すればよい」と考えがちです。
確かに分析は重要です。しかし、すべての製品を片端から分析することが最も合理的とは限りません。
まず確認したいのは、原材料に何が使われているか、その物質が使用される可能性のある用途か、サプライヤーから含有情報を取得できるか、どの国のどの規制に対応する必要があるか、どの濃度基準や適用除外が存在するか、という情報です。
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使用可能性を確認する
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サプライヤー情報を確認する
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不明な部分を特定する
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必要なところを分析する
例えば、あるPOPsが特定用途でしか通常使用されないことが分かっており、自社製品にその用途が存在しないのであれば、分析の優先順位は下げられるかもしれません。
逆に、サプライチェーンが長く、材料情報が十分に得られない場合や、リサイクル材を使用している場合には、分析による確認の重要性が高まります。
Testingの役割は、「規制物質をすべて測ること」ではありません。規制上の判断に必要なデータを得ることです。
重要なのは「禁止物質リスト」より規制が動く仕組みを理解すること
POPs対応を禁止物質リストの管理だけで考えると、どうしても対応は後追いになります。
リストに追加された物質を確認し、社内データベースへ登録し、サプライヤーへ調査を依頼する。もちろん、それも必要です。
しかしストックホルム条約には、その前段階があります。
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国際的な意思決定
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国内法への反映
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企業実務
新しい物質が提案され、POPRCで科学的評価が行われ、リスク管理が検討され、COPで追加が決まり、その後、日本やEUなどが国内法へ反映します。
企業がこの流れを理解していれば、法律の施行日だけを待つ必要はありません。
「自社で使っている物質がPOPRCで検討されている」という段階から、どの製品に使われているのか、どのサプライヤーから調達しているのか、代替材料は存在するのか、分析が必要になる可能性はあるのか、といった確認を始めることができます。
2025年のCOP12と、その後の日本の2026年化審法改正は、その流れを非常に分かりやすく示しています。
企業にとって重要なのは、「POPsの一覧を知っていること」ではなく、規制がどこで生まれ、どの段階で自社の製品やサプライチェーンに影響してくるのかを理解することです。
まとめ――POPsを理解すると、世界規制の仕組みが見えてくる
ストックホルム条約は、単なる有害物質の禁止リストではありません。
POPsは、環境中で分解されにくく、生物に蓄積し、遠くまで移動し、人や生態系へ影響する可能性があります。
だから、一国だけが規制しても十分ではありません。この問題を世界全体で管理するためにつくられたのがストックホルム条約です。
そして条約の対象物質は固定されていません。科学的評価によって新しい物質が追加され、その決定が日本の化審法やEUのPOPs規則などへ反映され、最終的に製造、輸入、調達、品質保証、分析、廃棄物管理といった企業実務につながっていきます。
だからこそ規制も、国際条約、国内法、サプライチェーン、そして試験・分析までを一つの流れとして見る必要があります。
POPs規制と分析対応を整理する
POPs規制への対応では、対象物質を分析する前に、対象国の規制、製品用途、サプライヤー情報、適用除外、濃度基準を整理することが重要です。TICnology Japanでは、規制要求と製品情報を整理したうえで、必要となる試験・分析項目や国内外の分析体制の検討を支援しています。
本記事は、2026年8月26日時点で確認できるストックホルム条約事務局、環境省、経済産業省、厚生労働省等の公式公開資料をもとに、TICnology Japanが独自に整理・分析したものです。
ストックホルム条約の附属書への物質掲載と、日本やEUなど各国・地域における具体的な法的義務の発生時期は同一ではありません。
対象物質、対象製品、用途、濃度、適用除外、経過措置、施行時期等については、実際に事業を行う国・地域の最新の法令・公式情報を確認する必要があります。
2025年のCOP12で附属書Aへの追加が決定されたLC-PFCAとその塩・関連物質、クロルピリホス、MCCPについて、日本では2026年5月に化審法施行令の改正が決定され、2026年11月22日の全面施行が予定されています。
本記事にはTICnology Japanによる分析・考察が含まれており、特定の企業、製品、サービス、投資または取引を推奨するものではありません。
情報基準日:2026年8月26日
・Stockholm Convention Secretariat, Stockholm Convention on Persistent Organic Pollutants – Overview
・Stockholm Convention Secretariat, Stockholm Convention on Persistent Organic Pollutants – Text and Annexes, revised in 2025
・Stockholm Convention Secretariat, The New POPs
・環境省「POPs(Persistent Organic Pollutants:残留性有機汚染物質)」
・環境省「ストックホルム条約」
・経済産業省「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律施行令の一部を改正する政令が閣議決定されました」
・厚生労働省「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律施行令の一部を改正する政令が閣議決定されました」
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